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カテゴリ: 女仙

当ブログでは、多肉植物の名前についての話題がちょくちょく議題に上がります。ある種が分割されたり統合されたり、属名が変更になったりと言ったことはよくあることです。しかし、それだけではなく、命名規約上の問題もあります。現在の二名式学名は1753年のCarl von Linneから始まりますが、命名が古い種は基準となるタイプ標本がない場合があります。長い年月で行方不明になったり、第二次世界大戦により消失してしまったりと理由は様々です。このような場合、新たにタイプ標本を指定し直す必要があります。本日はそんなタイプ標本の再指定=レクトタイプ化に関するお話です。参照とするのは、D. L. Koutnik & Mary O'Connor-Fentonの1985年の論文、『Lectotypification of the genus Delosperma (Mesembryanthemumaceae)』です。早速、見てみましょう。

Mesembryanthemumの誕生
von Linneが1753年に「Species Plantarum」を出版した時、Mesembryanthemum属はわずか35種でした。1862年のSonderの「Capensis」では、293種に増加しました。現在、von Linneの言うところのMesembryanthemumは推定1200種あります。

※von Linneの言うところのMesembryanthemumは、後に分割されたため、現在のMesembryanthemumが1200種あるわけではありません。

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「Species Plantarum」

分離が始まる
N. E. Brownは、多くの種を集中的に研究した最初の現代的な研究者でした。1920年、1921年に、巨大なMesembryanthemum複合体から、別属に分離するプロセスを開始しました。属の分割は種子鞘(seed capsule)に基づいたものです。この分離するプロセスは現在も続いており、現在は100属以上となっています。
これらの属のほとんどは、1958年以前にはタイプ標本が指定されていませんでした。そのため、タイプ標本の再指定=レクトタイプ化が必要です。Delospermaもそのようなレクトタイプ化を必要としています。Delospermaは約163種からなり、現在著者により改訂中です。

タイプを再指定
1925年にBrownがMesembryanthemumからDelospermaをはじめて分離しました。しかし、この時にどの種がDelospermaに含まれるのかをBrownは示しませんでした。そこで、1925年以前にBrownにより記載され、Delospermaの最初の扱いでBrownに言及され、総称名の後に新属と印刷された3種類に限定しました。それは、D. herbeum、D. macellum、D. mahoniiです。このうち、D. herbeumは線状披針形の葉や小さな花からなる集散花序を持ち、雄しべは花の中心に集められるなど、典型的なDelospermaです。そのため、D. herbeumを代表的なDelospermaと判断します。また、D. herbeumはタイプ標本がBrownにより発見され、資料の一部として引用されています。

レクトタイプの混乱要素
Delospermaがレクトタイプ化されたかは、若干の混乱があります。Lavisは1967年にSection Delosperma(デロスペルマ節)と言う分類群を作りました。これは、「Delosperma属」と混同してはならず、Sectionの確立のためにレクトタイプと言う単語を使用することは明らかな間違いです。Section Delospermaのタイプは、Delosperma echinatum (Aiton) Schwantesですが、タイプとして問題があります。D. echinatumは1789年に命名されたMesembryanthemum echinatm Aitonに基づいており、これは1786年に命名されたD. echinatum Lam.と同名です。この種の正しい名前は、Delosperma pruinosum (Tunb.) Ingramですから、Delosperma echinatum Schwantesは非合法名です。

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Delosperma echinatum
『Monographia geneum aloes et mesembryanthemi』(1836年)より。Mesembryanthemum echinatumとして記載。


最後に
ややこしい話ですが、これはMesembryanthemumからDelospermaが分離された時に、属のタイプがないと言う問題を解決するための提案です。デロスペルマは日本では「マツバギク」の名前で知られていますが、ずいぶんと面倒くさい話があるものですね。
さて、この提案が採用されたか否かは、実はよく分かりません。まあ、これはただ調べられていないだけです。ただし、読んでいてよく分からない部分もあり、そちらの方が気になってしまいました。それは、Delosperma echinatumの学名についてです。著者らはD. echinatumをAitonの命名によるM. echinatum Aitonが由来である、Delosperma echinatum (Aiton) Schwantesとしています。そして、それは誤りで正しくはDelosperma pruinosum (Thunb.) Ingramとしました。しかし、現在のD. echinatumはAitonではなく、LamarkによるMesembryanthemum echinatum Lam.に由来するとされています。そもそも、Aitonの命名したD. echinatumがよく分からないため、どう解釈したものか悩みます。ちなみに、D. pruinosumは1791年に命名されたMesembryanthemum pruinosum Thunb.に由来します。対するD. echinatumは、1788年に命名されたMesembryanthemum echinatum Lam.に由来します。命名年を見れば、M. echinatumが優先されることが分かります。ということで、Delosperma echinatumが現在の正しい学名とされています。


 
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Mesembryanthemumは由来の古い属名ですが、かつては巨大なグループでした。しかし、徐々に分割され、LampranthusやDelosperma 、Ruschiaを始めとしたグループとなり、現在は100種類程度になっているようです。私はまったくメセンに詳しくはないのですが、Mesembryanthemumの学名に関係する論文を見つけたのでご紹介します。メセンと言うより学名について興味があるのです。
と言うわけで、本日はGideon F. Smithの2020年の論文、『(274 5) Proposal to conserve the name Mesembryanthemum vanputtenii (Lampranthus vanputtenii) (Aizoaceae) with that spelling』をご紹介します。

Mesembryanthemum pittenii L.Bolusは1929年に発表された南アフリカ原産の多肉植物です。L.Bolus(1929)は「Compton(N.B.G. 916/22)」と「van Pitten(N.B.G. 1045/25)」と言うタイプ標本(シンタイプ)を挙げています。翌年、この種は新たに創設されたLampranthusに移され、L. pittenii (L.Bolus) N.E.Br.とされました。

1967年にL.Bolusは、コレクターの名前が正しく記載されていなかったと述べ、種小名を「vanputtenii」に変更しました。採取者はJoost van Puttenで、Lambert's湾の海岸近く住んでおり、彼の所有地はVan Putten's Vleiと呼ばれていました。

「pittenii」を正書法的に修正すると、「i」を「u」に変更されます。さらに、Brummit & Powell(1992)は、「van」を含む南アフリカの姓は、姓の不可欠な部分とみなすのが一般的であるため、この単語を保持すべきであると指摘しています。

L.Bolusが1967年の修正に続いて、修正された名前であるL. vanputteniiが、南アフリカのAizoa科の種の編集に採用されました。過去50年に渡り、L. vanputteniiと言う名前が広く採用されてきたことを考慮し、そのバシオニムであるM. vanputteniiを保存することを提案します。

以上が論文の簡単な要約です。
バシオニムとは正式に認められた学名のもとになった名前のことです。いわゆる異名の1つですが、実は異名にも2種類あります。例えば、緋花玉を例に取ると、正しい学名はGymnocalycium baldianumですが、これは1925年に命名されたものです。しかし、緋花玉は初めは1905年にEchinocactus baldianusと命名されているのです。これは、現在の学名に繋がる学名ですから、バシオニムにあたります。異名の種類としてはHomotypic Synonymと呼ばれます。
また、現在の学名に繋がらないものもあり、これをHeterotypic Synonymと呼びます。緋花玉では、1932年に命名されたEchinocactus sanguiniflorusや1995年に命名されたGymnocalycium rosea、2009年に命名されたGymnocalycium schreiteriなど、11のHeterotypic Synonymがあります。これらは、新種として記載されたものの、G. baldianumと同種であるとして異名になったものです。
何やら面倒くさい話ですが、命名法は重要です。しかし、種を分けるか否かは研究者だけではなく、我々趣味家からも批判がある不完全なものです。それでも、最新の研究成果を吸収しながら、徐々に積み上げられるものが学名です。近年、遺伝子解析による分子系統が盛んに行われていますから、過去にないスピードで分類が改訂される時代になりました。遺伝子解析は過去の分類法と比較すると非常に客観的ですから、研究の進んだグループでは、やがて分類とその学名は固定的となっていくでしょう。このように、Carl von Linneが2名式学名を考案してから約250年経って初めて機械的に種を決定可能となったわけですから、我々は非常に面白い時代に生きていると言えるでしょう。これからも、最新の研究成果を記事にしていこうと考えております。


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多肉植物の生息地は、開発によりその生息が脅かされています。多肉植物は分布が狭く、特殊な環境にのみ生えるものも多いことから、多くの多肉植物が絶滅の危機に瀕しています。保護活動によりこれらの多肉植物を救うことは出来るのでしょうか?
本日は希少な多肉植物を救うための保護活動に目を向けます。Stefan Siebert & Frances Siebertの2022年の報告である、『Beating the boom: The fight to save a tiny succulent』をご紹介しましょう。小型のメセンであり、野生では非常に希少なFrithia humilisの保護活動の顛末です。


妖精の象の足
「妖精の象の足」(Faily elephant feet)と呼ばれるFrithia humilisは、南アフリカの固有種です。Gauteng州とMpumalanga州の境界にまたがる約600平方キロメートルの範囲の、岩盤上に乗った砂利の隙間にのみ生えます。非常に特殊な土壌条件が必要です。乾燥しわずか2cmしかない浅い土壌は、珪岩砂と腐植質からなり、0.5cmの珪岩砂利に覆われている必要があります。しかし、残念なことに南アフリカの発電所に供給される石炭が採掘される石炭鉱床は、F. humilisの分布と重なります。すでに、鉱山開発などによりF. humilisは生息地の半分以上を失っています。

救出作戦
新しい石炭鉱山の開発予定地に、4000個体に及ぶF. humilisが発見されました。しかし、南アフリカの政策により、この希少植物を他の土地に移植しなくてはなりませんでした。そのため、時間が限られる中、適切な代替地を探し出し、2009年に移植が敢行されました。移植が終わると、本来の自生地は採掘のため、すぐに爆破されてしまいました。

挫折と行き詰まり
救出活動以来、移植先を定期的に監視しました。当初、移植したF. humilisの生存と繁殖は有望に見えました。確かに、移植当初はネズミによる減少がありました。ところが、個体数が大幅に減少し始めたのは、2017年以降でした。著者らはこれは個体数が少ないことから、遺伝的多様性の低下により自家受粉が増えたからではないかと考えました。
著者らは移植先における花粉媒介者の数や訪問頻度、開花や結実について調査しましたが、これらの指標は他の自生地と変わりがありませんでした。つまり、種子や実生の数が少ないわけではないということです。

保護の難しさ
F. humilisは土壌ごと移植されたため、貯蔵種子(Seed bank)からの発芽が期待されました。実際に移植後に実生が出現し、それは2013年まで続きました。そして、干ばつ後の2017年以降、減少が始まりました。それ以降、観察により花の数、成体の植物数、実生苗の数は減少し続けています。
F. humilisのような特殊な土壌に生える植物は、数十億年かけて形成された生息地に、数百万年かけて適応してきました。単純に移動させたら、新しい生息地で繁栄することを期待することは出来ません。一度介入したならば、監視を続け生息地の維持のために投資する必要があります。最終的には、自生地には手を加えずに残しておく必要があります。


最後に
以上が報告の簡単な要約です。
保護活動は失敗に終わりました。これだけ文明が発達した現代においても、未だ自然とはあまりに未知であり、まったくコントロールが効かない存在であることを改めて実感しました。
しかし、F. humilisを育てるのはそれほど難しくないと思った方もおられるでしょう。これは、当然ながら自然環境下は栽培環境とはまったく異なるからです。自然環境下では植え替えも施肥も、水やりや遮光も出来ないのですから、自然と育って増えてくれるのを期待するしかありません。まったく同じ自然環境を用意することはあまりに難しいでしょう。やはり、自然環境ごと保全することが肝要ということなのでしょう。


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