アガヴェは専門外なのですが、イベントでオマケでいただいた苗を2つ育てています。そんな縁もあり、たまにアガヴェについても記事にしています。そんなこんなで本日はアガヴェについての記事です。何でも、ネイティブアメリカンがかつてアガヴェを作物として栽培していたらしいのです。詳しく見てみましょう。本日ご紹介するのは、Wendy C. Hodsonらの2018年の論文、『Hohokam Lost Crop Found: A New Agave (Agavaceae) Species Only Known from Largescale pre-Columbian Agricultural Field in Southern Arizona』です。
アガヴェ栽培と考古学
考古学者は南アリゾナの先コロンブス期の居住者であるHohokam族が、大規模なアガヴェ栽培を行っていたことを提唱してきました。数千エーカーに及ぶ岩石や岩の配列や、アガヴェの収穫と加工に用いられた特徴的な石器、アガヴェを調理するための大きな焙煎穴などの証拠があります。1500年代半ばにスペイン人がアリゾナに到着したころには、1350年頃から始まる深刻な人口減少により、Hohokamの文化や農地利用のパターンは消滅していました。
Hohokam族と農業
Hohokam族は、現在のアリゾナ州中部と南部のソノラ砂漠で農業を営んでいました。Hohokamの社会は古代の狩猟採集集団から発展し、少なくとも4000年前からトウモロコシを栽培していました。Hohokam族は紀元後300年から1450年にかけて、Gila川、Salt川、San Pedro川、Santa Cruz川、Verde川とその支流に沿って、洗練された集約的な農業システムを開発しました。
数百マイルに及ぶ大規模で複雑な灌漑用水路と溝が、氾濫原と隣接する段丘で栽培される作物に水を供給しました。段丘ではトウモロコシ、tepary beans(Phaseolus acutifolius var. acutifolius)、ヒョウタン、アマランサス、綿花を栽培していました。西暦800年までにSan Pedro川などの川沿いに儀式用の舞踏場や土塁などの公共施設を備えた大規模なHohokamの竪穴式住居の村落が広がっていました。Salt川とGila川の流域では、Hohokamの人口は灌漑用水路の延長上に広がり、川の取水口から何マイルも離れていることも珍しくありませんでした。考古学者の推定によれば、西暦1300年までにHohokamの人口は約4万人に達しており、先史時代のアメリカ南西部ではもっとも人口が集中していた地域の1つでした。
先史時代の遺構
考古学者は、アガヴェはいくつかの河川沿いの畑の乾燥した地域で栽培されていたと推測しています。しかし、先史時代の灌漑氾濫原が沖積土に埋もれたため、アガヴェが栽培されていた証拠は山岳地帯のbajada(※1)とterrace(※2)でした見られません。bajadaとterraceは遠目には自然地形に見えますが、実際には重ねた岩や整列した岩により構築されており、乾燥農業用に修正され管理された人工的な景観を示します。
(※1)bajadaは、山の正面に沿い合体した一連の扇状地から構築される。
(※2)terraceは階段状の地形のこと。
アガヴェの痕跡
平板状の石ナイフや鋭角なパルプ加工用かんな、石鎚などの特殊な石器、焙煎穴の存在は、栽培されていた作物を特定するための重要な手がかりです。これらの道具は、先史時代を通じてアガヴェの食品あるいは飲料、繊維加工のために使用されていたからです。アリゾナ州中央部と南部のHohokam遺跡からは炭化したアガヴェが発見されており、葉の基部や繊維、葉柄の断片が含まれています。植物学的に見ると2種類以上のアガヴェが栽培されていたことが示唆されます。残念ながらアガヴェの残骸は断片的すぎて種の特定はできません。研究者は、Agave murpheyiやアリゾナ州のアガヴェ、またはメキシコ原産の栽培品種のいずれかが栽培されたと考えています。さらに、これらの先史時代の遺構や道具は、A. chrysanthaやA. deserti subsp. simplex、A. palmeri、A. parryiなどのアリゾナ州南東部及び中央部に分布する野生アガヴェの自生地より低い標高で発見されています。
先コロンブス期の栽培アガヴェ
1980年代初頭、Hodgson氏ら植物学者たちはアリゾナ州とメキシコのソノラ州北部で、先史時代の栽培アガヴェを突き止めるために現地調査を開始しました。アリゾナ州中部では先史時代の畑に残存するアガヴェの個体群を発見し、A. murpheyiとA. delamateriが先コロンブス期の栽培種であることを示しました。両種は種子をほとんど生成せず、根茎を介して容易に無性生殖するなど、栽培植物に共通する特徴を持っています。形態学的変異はほとんど見られず、自然環境ではないterraceなどの考古学的な環境に関連して生育しています。2007年にParkerらによる研究では、両種ともに野生のアガヴェより遺伝的多様性が低いことがわかりました。これは、作物に期待される特徴です。
未知の栽培アガヴェ
Clark & Lyons(2012)は、San Pedro川の考古学研究書において、完新世の氾濫原を見下ろすアリゾナ州南部にあるHohokamの乾性耕作地の段丘に、生きたアガヴェが存在することを明らかにしました。農地のいくつかは60ヘクタールを超えていました。畑に生えるアガヴェの写真は注目を集めましたが、種の同定はできませんでした。HodgsonとSalywonは現地を訪れ、そのアガヴェが未記載種であることを突き止めました。
新種アガヴェの情報
Agave sanpedroensis W. C. Hodgson & A. M. Salywon sp. nov.
タイプ: アメリカ合衆国、アリゾナ州Pima郡、標高914m、ソノラ砂漠上部の低木地帯、多数の先コロンブス期のbajadaとterrace。
自生地はTortolita山脈近くの1か所で、12以下の個体群が知られています。人工的な先コロンブス期の農地でのみ発生し、自然環境には見られません。分布域には、Calliandra eriophylla(緋合歓)、Carnegiea gigantea(弁慶柱、Saguaro)、Cylindropuntia fulgida(cholla)、Ferocactus wislizeni、Fouquieria splendens、Opuntia engelmannii、Opuntia phaeacantha、Parkinsonia microphylla、Prosopis velutina(ベルベットメスキート)、Eragrostis lehmannianaが自生します。
花色はA. phillipsianaおよびA. palmeriに類似しています。A. sanpedroensisのS字型の曲がりくねった細い花序と大きく厚みのある花は、A. phillipsianaに似ています。これは側枝のある頑丈な花序があるA. palmeriとは異なります。A. sanpedroensisの厚みのある基部と芽の形の刻印がある灰緑色の葉を持ち、目立って厚みがなく芽の形の刻印がなく、より濃い緑色のA. phillipsianaおよびA. palmeriとは異なります。
高さ及び幅は50〜70cmで、ロゼットは開き、根茎は自由に分離しクローンを形成する。葉は線状披針形から線状倒披針形で、長さ44〜49cmで縁は波打ちます。縁歯は強く反り返り、時々直立または上向きになります。花は7月下旬から8月で、果実は発育初期に枯れるらしく、知られていません。
著者らは開花した花を2個体観察しましたが、果実はありませんでした。不稔のように見えますが、根茎により容易に無性生殖するため、放棄されてから何世紀にも渡り畑で生き残ってきました。A. sanpedroensisが不稔である理由はわかりません。おそらく自家和合性がなく、野生個体の分布域外で育ったため、環境が着果に合わないであるとか、人為的選択の結果として遺伝的不適合があるのかも知れません。または、無性生殖のために意図的に選抜された可能性もあります。
最後に
以上が論文の簡単な要約です。
驚くべきことに、先史時代に栽培されていたと思しきアガヴェの新種について述べられています。おそらく不稔で種子が出来ず、シュートなどの栄養繁殖で増える特徴はいかにも栽培植物です。 気になるのはAgave sanpedroensisの出自です。栽培された元の種は何だったのでしょうか? 近隣のアガヴェの交配種でしょうか? あるいはメキシコなど他所からの移入も考えられます。単に原種は絶滅して栽培植物だけ生き残っただけかもしれません。詳細は遺伝子解析が行われていないため、わかりませんが著者らも気にしているようですから、何れ解明されるでしょう。 さて、最後にアガヴェ栽培を行う意味について考えてみましょう。アガヴェは育つのに時間がかかりますから、日常的な生活を支える栽培作物とは言えないでしょう。ある程度の生活的余剰があることが見て取れます。そして、その文化が失われたのは、Hohokamの衰退ともに失われていったのでしょう。著者らは他地域からの侵入など、外圧を示唆しています。考古学とリンクした面白い研究ですが、この研究を受けて考古学者たちがどのような考えを持つのか気になりますね。
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アガヴェ栽培と考古学
考古学者は南アリゾナの先コロンブス期の居住者であるHohokam族が、大規模なアガヴェ栽培を行っていたことを提唱してきました。数千エーカーに及ぶ岩石や岩の配列や、アガヴェの収穫と加工に用いられた特徴的な石器、アガヴェを調理するための大きな焙煎穴などの証拠があります。1500年代半ばにスペイン人がアリゾナに到着したころには、1350年頃から始まる深刻な人口減少により、Hohokamの文化や農地利用のパターンは消滅していました。
Hohokam族と農業
先史時代の遺構
アガヴェの痕跡
先コロンブス期の栽培アガヴェ
1980年代初頭、Hodgson氏ら植物学者たちはアリゾナ州とメキシコのソノラ州北部で、先史時代の栽培アガヴェを突き止めるために現地調査を開始しました。アリゾナ州中部では先史時代の畑に残存するアガヴェの個体群を発見し、A. murpheyiとA. delamateriが先コロンブス期の栽培種であることを示しました。両種は種子をほとんど生成せず、根茎を介して容易に無性生殖するなど、栽培植物に共通する特徴を持っています。形態学的変異はほとんど見られず、自然環境ではないterraceなどの考古学的な環境に関連して生育しています。2007年にParkerらによる研究では、両種ともに野生のアガヴェより遺伝的多様性が低いことがわかりました。これは、作物に期待される特徴です。
未知の栽培アガヴェ
Clark & Lyons(2012)は、San Pedro川の考古学研究書において、完新世の氾濫原を見下ろすアリゾナ州南部にあるHohokamの乾性耕作地の段丘に、生きたアガヴェが存在することを明らかにしました。農地のいくつかは60ヘクタールを超えていました。畑に生えるアガヴェの写真は注目を集めましたが、種の同定はできませんでした。HodgsonとSalywonは現地を訪れ、そのアガヴェが未記載種であることを突き止めました。
新種アガヴェの情報
Agave sanpedroensis W. C. Hodgson & A. M. Salywon sp. nov.
タイプ: アメリカ合衆国、アリゾナ州Pima郡、標高914m、ソノラ砂漠上部の低木地帯、多数の先コロンブス期のbajadaとterrace。
自生地はTortolita山脈近くの1か所で、12以下の個体群が知られています。人工的な先コロンブス期の農地でのみ発生し、自然環境には見られません。分布域には、Calliandra eriophylla(緋合歓)、Carnegiea gigantea(弁慶柱、Saguaro)、Cylindropuntia fulgida(cholla)、Ferocactus wislizeni、Fouquieria splendens、Opuntia engelmannii、Opuntia phaeacantha、Parkinsonia microphylla、Prosopis velutina(ベルベットメスキート)、Eragrostis lehmannianaが自生します。
花色はA. phillipsianaおよびA. palmeriに類似しています。A. sanpedroensisのS字型の曲がりくねった細い花序と大きく厚みのある花は、A. phillipsianaに似ています。これは側枝のある頑丈な花序があるA. palmeriとは異なります。A. sanpedroensisの厚みのある基部と芽の形の刻印がある灰緑色の葉を持ち、目立って厚みがなく芽の形の刻印がなく、より濃い緑色のA. phillipsianaおよびA. palmeriとは異なります。
高さ及び幅は50〜70cmで、ロゼットは開き、根茎は自由に分離しクローンを形成する。葉は線状披針形から線状倒披針形で、長さ44〜49cmで縁は波打ちます。縁歯は強く反り返り、時々直立または上向きになります。花は7月下旬から8月で、果実は発育初期に枯れるらしく、知られていません。
著者らは開花した花を2個体観察しましたが、果実はありませんでした。不稔のように見えますが、根茎により容易に無性生殖するため、放棄されてから何世紀にも渡り畑で生き残ってきました。A. sanpedroensisが不稔である理由はわかりません。おそらく自家和合性がなく、野生個体の分布域外で育ったため、環境が着果に合わないであるとか、人為的選択の結果として遺伝的不適合があるのかも知れません。または、無性生殖のために意図的に選抜された可能性もあります。
最後に
驚くべきことに、先史時代に栽培されていたと思しきアガヴェの新種について述べられています。おそらく不稔で種子が出来ず、シュートなどの栄養繁殖で増える特徴はいかにも栽培植物です。 気になるのはAgave sanpedroensisの出自です。栽培された元の種は何だったのでしょうか? 近隣のアガヴェの交配種でしょうか? あるいはメキシコなど他所からの移入も考えられます。単に原種は絶滅して栽培植物だけ生き残っただけかもしれません。詳細は遺伝子解析が行われていないため、わかりませんが著者らも気にしているようですから、何れ解明されるでしょう。 さて、最後にアガヴェ栽培を行う意味について考えてみましょう。アガヴェは育つのに時間がかかりますから、日常的な生活を支える栽培作物とは言えないでしょう。ある程度の生活的余剰があることが見て取れます。そして、その文化が失われたのは、Hohokamの衰退ともに失われていったのでしょう。著者らは他地域からの侵入など、外圧を示唆しています。考古学とリンクした面白い研究ですが、この研究を受けて考古学者たちがどのような考えを持つのか気になりますね。
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