地球上の発見された生物には、基本的に名前がつけられています。英語名だったり、その原産地や地域での呼び名もあったりします。しかし、世界中で通じる名前は、ラテン語表記による学名です。しかし、この学名にもルールがあり、誰でも好きなように命名して良いわけではありません。新種の記載は大学などの研究機関に属する研究者である必要はありませんが、学術論文は決まった形式があるため、事実上は研究者にほぼ独占されているのが現状です。この新種の記載には、産地情報や花を中心とする特徴についても詳細に書かれます。しかし、それだけでは不十分で、タイプ標本を必要とします。タイプ標本は研究機関に収蔵され、新種を発見したりした場合、類似した種と比較するために、類似種のタイプ標本が参照されます。最近では標本から遺伝子を抽出するケースもあるようです。
さて、本日はタイプ標本に関するお話です。と言うわけで、Joachim Thiedeの2008年の論文、『Lectotypification of Adenium multiflorum Klotzsch (Apocynaceae)』をご紹介します。

Adenium multiflorumはモザンビークのTete近くでHW Petersが採取した標本に基づき、ドイツの植物学者であるFriedrich Klotzschにより記載されました。それが公開されたのは、Petersの豪華な6巻からなる著作である、『Naturwissenschaftliche Reise nach Mosasanbique…』(モザンビークを巡る自然史の旅)の植物学に掲載されました。出版日は1862年とされていますが、実際には1861年に出版されました。優れたモノクロの図版が添えられていました。

1980年にアデニウム属の改訂が行われ、PlaizierはAdenium multiflorumのタイプ標本(ホロタイプ)は破壊されアイソタイプは追跡されなかったと述べました。つまり、学名の基準となるタイプ標本であるホロタイプが失われていたため、ホロタイプに次いで重要な重複標本であるアイソタイプを探しましたが見つけられなかった、あるいはそもそも存在しなかったのです。Plaizierはタイプ標本の産地の近くで採取された保存状態の良い標本を、新たにネオタイプとして指定しました。ネオタイプはタイプ標本が失われた時に、それに代わり指定されるタイプのことです。

著者はHW Petersの著者に記載されたAdenium multiflorumの図版が、失われたホロタイプに代わるレクトタイプ(イコノタイプ)であり、Plaizierの指定したネオタイプより優先されると指摘しています。レクトタイプとは、標本の中からホロタイプに相当する1点を選ぶことで、イコノタイプとは種を指定する図版を指します。この場合は、植物標本ではなく、図版がタイプとして指定されたと言うことです。

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Adenium multiflorum
『The Flowering plants of South Africa』(1921年)より。

以上が論文の簡単な要約です。
さて、このように重要なタイプ標本ですが、時として誤りが見つかることもあります。タイプ標本に複数種が混在しているとか、タイプ標本の変更時に誤った標本を指定してしまったりと言うこともあります。タイプ標本の変更は様々なケースがありますが、標本が破損したり紛失してしまうもあります。特に第二次世界大戦により焼失してしまった標本は沢山あったりします。

ちなみに、Adenium multiflorumは上記のごとく、1961年にKlotzschにより記載されたわけですが、同じく1961年には南アフリカの植物学者であるLeslie Edward Wostall CoddによりAdenium obesumの変種とする考え方も提案されました。さらに、1974年にはイギリスの植物学者であるGordon Douglas Rowleyにより、Adenium obesumの亜種とする意見もありました。しかし、現在はAdenium multiflorumが正式な学名です。ちなみに、A. obesumの亜種とする意見は、「no basionym ref.」と書かれており、つまり「参照となるバシオニムがない」と言うことです。これは、正しい学名が引用されていないと言うことです。詳しくは分かりませんが、もしかしたら引用すべきPetersの著作を正しく引用出来ていないのかも知れませんね。


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