非常に沢山の稜があるサボテンとして、縮玉や千波万波などを含むEchinofossulocactusが有名です。しかし、いつの頃からかStenocactusと呼ぶようになりました。少し気になって軽く学名を検索したところ、非常に面倒くさい話であることを察したため、その時は見なかったことにしました。しかし、そこら辺の面倒くさい話についてまとめた論文を見つけてしまい、何とはなしに読み始めたところ、やはり非常に面倒くさい話でした。説明するのも面倒くさいのですが、読んでしまった以上は記事にします。それは、L. Zahoraらの2020年の論文、『Echinofossulocactus or Stenocactus』です。ただ読むだけで忍耐力を試されますから、ご注意下さい。
始めはEchinocactusから
1841年以前、Echinofossulocactus Lawr.はEchinocactusに含まれていました。医師のLudovico Pfeifferは、1837年に出版した本でEchinocactusの中のEchinofossulocactusに相当するグループについて、波打ち圧縮された稜という形態を説明しました。
Echinofossulocactusの始まり
1841年にイギリスのガーデナーのGeorge Lawrenceは、London' s Gardeners' Magazineに、雇用主のTheodore Williams牧師のコレクションからサボテンのカタログを発表しました。その中でEchinofossulocactusが初めて登場しました。しかし、この時のEchinofossulocactusはあまりにも広い概念であり、それが後に問題となります。LawrenceはEchinofossulocactusを3つに分けており、1つ目が「Gladiatores」とラベルされた現在のEchinofossulocactus、2つ目が現在のFerocactus、3つ目はEchinocactusやFerocactus、Thelocactus、Astrophytum、Strombocactusが含まれていました。Echinofossulocactusの由来は、小さな溝や水路を表した「fossula」に由来しますが、この特徴はEchinofossulocactusだけの特徴ではないため、判別するための名前としては微妙かも知れません。また、Lawrenceはタイプ標本を指定しなかったことも問題です。
Stenocactusの登場
1898年に最も偉大なサボテンの権威の1人であるKarl Moritz Schumannは、Echinocactusの中にStenocactus亜属を確立しました。「stenos」はギリシャ語の「狭い」に由来し、特徴を表しています。
混乱の始まり
1922年にアメリカの植物学者Nathaniel Lord Britton & Joseph Nelson RoseはLawrenceの命名した「Gladiatores」ではなく、正式にEchinofossulocactus属を命名し直しました。タイプ標本はLawrenceが最初にリスト化したE. coptonogonusを選びました。
翌1923年にCarlos SpegazziniはEchinofossulocactusはハイブリッドであり、非常に長い名前のため、これは非合法名であり拒否されるべきであると提案しました。そして、Brittonrosea Speg.を提唱しました。
1926年にはC. OrcuttはSpegazziniの命名を知らなかったようで、Efossusを提案しました。タイプ標本はBritton & Roseに従いE. coptonogonusを指定しました。
Stenocactusの拡散
SchumannはおそらくEchinofossulocactusの命名を知らずにStenocactusを命名しましたが、これは亜属としての命名でした。これを属として使用したのは1929年のA. Bergerです。しかし、Bergerは属と亜属を厳密に区別していませんでした。属名としてStenocactusを使用したのは1935年のW. Marshall & F. M. Knuthでした。1937年にはHelia Bravo & J. Borgが続き、1941年にはアマチュア・コレクター向けに出版された「Cactaceae」にW. Marshall & T. M. BockがStenocactusを使用しました。
Echinofossulocactusの復権
しかし、国際命名規約が重視されるようになり、Stenocactusの正しい使用についても見直されました。1961年のBackebergなどの著者によりEchinofossulocactus Britton & Roseという名前が受け入れられ、翌年にはF. Buxbaumにも受け入れられました。
Echinofossulocactusを埋葬せよ
1980年にDavid Richard Huntは「Echinofossulocactusの正しい再埋葬」と銘打ち、Stenocactusを復活させようと、Nigel Taylorと共に出版した雑誌で主張しました。Huntによれば、Lawrenceの簡単な説明、「fossula」はE. helophorusに対応しているとしています。HuntはE. coptonogonusのレクトタイプを置き換えました。E. helophorusはEchinocactus platycanthus Link & Ottoの異名です。Echinofossulocactusを無効としました。Brittonrosea Spegazziniは受け入れられなかったので、Stenocactusを正当化する提案をしました。TaylorはHuntの考え方を支持し、1980年にE. coptonogonusとFerocactusの類似を指摘してEchinofossulocactusとFerocactusの統合を主張しました。
Stenocactusの正当化
1981年にHuntはEchinofossulocactusの最も古い有効な学名はBrittonroseaであったと過りを認めました。しかし、HuntはStenocactusを正当化しました。その提案は当時の国際植物命名法(1978年版)の第63.1条を見落としていました。また、HuntはTaylorにより指定されたレクトタイプはEchinocactus crispatus DC.であるとしました。
1982年にW. L. Tjadenは、植物委員会にStenocactusという名前を保存するための提案を提出しました。Tjadenによると、植物法第34.1条ならびに第34.3条の下で、Echinofossulocactusに対する無効性を示しました。Lawrenceの属の広すぎる概念や、SectionあるいはSubsectionの分割、スペルミスなどの正確性を指摘しました。Tjadenによれば、Lawrenceの名前は無効であり、Stenocactusが便利であることから正当化されるということです。
植物委員会の判断
TjadenのStenocactusは保存するための提案は、1987年に植物委員会で議論されました。委員会は1841年のLawrenceによるEchinofossulocactusは無効であるなどの意見に同意しませんでした。特にHuntによる再レクトタイプ化に関して、いくつかの命名法上の問題を提起しました。
Echinofossulocactusのタイプは1841年にLawrenceにより命名されて以来E. helophorusであり、1922年にBritton & Roseが新しくEchinofossulocactus Britton & Roseと命名し直した時にE. coptonogonusを指定しました。これは、1923年のBrittonrosea SpegazziniがBritton & Roseの代わりに出版され、E. helophorusが除外された時に合法となります。
植物委員会のメンバーは、7人がStenocactus、1人がBrittonrosea、3人がEchinofossulocactusが正しいと考えました。委員会のBrummittはEchinofossulocactusが正しいとしても、それはE. helophorusはEchinocactusの異名となってしまうため、Stenocactusを使用するべきであると結論付けました。
Heathの批判
P. V. Heath(1989年)は、Huntの恣意的な傾向のある議論の不正確さを説明しました。①Brittonの選択が不十分であったことを示す。②有効なレクトタイプを作成する。③Huntの選択がより優れていることを示す。④現在の使用法を維持する。という4つが必要としていますが、Huntはすべてで失敗していると言います。Heathによると、「Huntは意図的に公然と現在の使用法を歪めた」としています。そして、Echinofossulocactusは正しい名前であり、Brittonrosea、Efossus、Stenocactusは異名としました。
以上が論文の簡単な要約です。
タイプの話は分かりにくいので、少し解説します。Echinofossulocactusのタイプは、Echinofossulocactus helophorusでした。しかし、現在ではE. helophorusはEchinocactus platyacanthusの異名とされています。つまり、Echinofossulocactusの代表を事もあろうにEchinocactusを選択してしまったのです。
著者らはStenocactusではなくEchinofossulocactusを正当な学名と考えています。しかし、タイプのミスは致命的な誤りに見えます。Heathの批判や著者らの考えにも関わらず、現在の学名はすべてStenocactusとなっており、EchinofossulocactusはEchinocactusの異名とされています。Huntの考え方が認められている形です。
しかし、植物委員会の判断は意外にもばらつきました。植物委員会もいくつか問題を提起しているように、完全決着ではないのかも知れません。しかし、現状ではEchinofossulocactusはEchinocactusの異名に過ぎず、使用されない名前です。完全に終わってしまったのでしょうか? 今後、再び議論される可能性はどのくらいあるのでしょうか?
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始めはEchinocactusから
1841年以前、Echinofossulocactus Lawr.はEchinocactusに含まれていました。医師のLudovico Pfeifferは、1837年に出版した本でEchinocactusの中のEchinofossulocactusに相当するグループについて、波打ち圧縮された稜という形態を説明しました。
Echinofossulocactusの始まり
1841年にイギリスのガーデナーのGeorge Lawrenceは、London' s Gardeners' Magazineに、雇用主のTheodore Williams牧師のコレクションからサボテンのカタログを発表しました。その中でEchinofossulocactusが初めて登場しました。しかし、この時のEchinofossulocactusはあまりにも広い概念であり、それが後に問題となります。LawrenceはEchinofossulocactusを3つに分けており、1つ目が「Gladiatores」とラベルされた現在のEchinofossulocactus、2つ目が現在のFerocactus、3つ目はEchinocactusやFerocactus、Thelocactus、Astrophytum、Strombocactusが含まれていました。Echinofossulocactusの由来は、小さな溝や水路を表した「fossula」に由来しますが、この特徴はEchinofossulocactusだけの特徴ではないため、判別するための名前としては微妙かも知れません。また、Lawrenceはタイプ標本を指定しなかったことも問題です。
Stenocactusの登場
1898年に最も偉大なサボテンの権威の1人であるKarl Moritz Schumannは、Echinocactusの中にStenocactus亜属を確立しました。「stenos」はギリシャ語の「狭い」に由来し、特徴を表しています。
混乱の始まり
1922年にアメリカの植物学者Nathaniel Lord Britton & Joseph Nelson RoseはLawrenceの命名した「Gladiatores」ではなく、正式にEchinofossulocactus属を命名し直しました。タイプ標本はLawrenceが最初にリスト化したE. coptonogonusを選びました。
翌1923年にCarlos SpegazziniはEchinofossulocactusはハイブリッドであり、非常に長い名前のため、これは非合法名であり拒否されるべきであると提案しました。そして、Brittonrosea Speg.を提唱しました。
1926年にはC. OrcuttはSpegazziniの命名を知らなかったようで、Efossusを提案しました。タイプ標本はBritton & Roseに従いE. coptonogonusを指定しました。
Stenocactusの拡散
SchumannはおそらくEchinofossulocactusの命名を知らずにStenocactusを命名しましたが、これは亜属としての命名でした。これを属として使用したのは1929年のA. Bergerです。しかし、Bergerは属と亜属を厳密に区別していませんでした。属名としてStenocactusを使用したのは1935年のW. Marshall & F. M. Knuthでした。1937年にはHelia Bravo & J. Borgが続き、1941年にはアマチュア・コレクター向けに出版された「Cactaceae」にW. Marshall & T. M. BockがStenocactusを使用しました。
Echinofossulocactusの復権
しかし、国際命名規約が重視されるようになり、Stenocactusの正しい使用についても見直されました。1961年のBackebergなどの著者によりEchinofossulocactus Britton & Roseという名前が受け入れられ、翌年にはF. Buxbaumにも受け入れられました。
Echinofossulocactusを埋葬せよ
1980年にDavid Richard Huntは「Echinofossulocactusの正しい再埋葬」と銘打ち、Stenocactusを復活させようと、Nigel Taylorと共に出版した雑誌で主張しました。Huntによれば、Lawrenceの簡単な説明、「fossula」はE. helophorusに対応しているとしています。HuntはE. coptonogonusのレクトタイプを置き換えました。E. helophorusはEchinocactus platycanthus Link & Ottoの異名です。Echinofossulocactusを無効としました。Brittonrosea Spegazziniは受け入れられなかったので、Stenocactusを正当化する提案をしました。TaylorはHuntの考え方を支持し、1980年にE. coptonogonusとFerocactusの類似を指摘してEchinofossulocactusとFerocactusの統合を主張しました。
Stenocactusの正当化
1981年にHuntはEchinofossulocactusの最も古い有効な学名はBrittonroseaであったと過りを認めました。しかし、HuntはStenocactusを正当化しました。その提案は当時の国際植物命名法(1978年版)の第63.1条を見落としていました。また、HuntはTaylorにより指定されたレクトタイプはEchinocactus crispatus DC.であるとしました。
1982年にW. L. Tjadenは、植物委員会にStenocactusという名前を保存するための提案を提出しました。Tjadenによると、植物法第34.1条ならびに第34.3条の下で、Echinofossulocactusに対する無効性を示しました。Lawrenceの属の広すぎる概念や、SectionあるいはSubsectionの分割、スペルミスなどの正確性を指摘しました。Tjadenによれば、Lawrenceの名前は無効であり、Stenocactusが便利であることから正当化されるということです。
植物委員会の判断
TjadenのStenocactusは保存するための提案は、1987年に植物委員会で議論されました。委員会は1841年のLawrenceによるEchinofossulocactusは無効であるなどの意見に同意しませんでした。特にHuntによる再レクトタイプ化に関して、いくつかの命名法上の問題を提起しました。
Echinofossulocactusのタイプは1841年にLawrenceにより命名されて以来E. helophorusであり、1922年にBritton & Roseが新しくEchinofossulocactus Britton & Roseと命名し直した時にE. coptonogonusを指定しました。これは、1923年のBrittonrosea SpegazziniがBritton & Roseの代わりに出版され、E. helophorusが除外された時に合法となります。
植物委員会のメンバーは、7人がStenocactus、1人がBrittonrosea、3人がEchinofossulocactusが正しいと考えました。委員会のBrummittはEchinofossulocactusが正しいとしても、それはE. helophorusはEchinocactusの異名となってしまうため、Stenocactusを使用するべきであると結論付けました。
Heathの批判
P. V. Heath(1989年)は、Huntの恣意的な傾向のある議論の不正確さを説明しました。①Brittonの選択が不十分であったことを示す。②有効なレクトタイプを作成する。③Huntの選択がより優れていることを示す。④現在の使用法を維持する。という4つが必要としていますが、Huntはすべてで失敗していると言います。Heathによると、「Huntは意図的に公然と現在の使用法を歪めた」としています。そして、Echinofossulocactusは正しい名前であり、Brittonrosea、Efossus、Stenocactusは異名としました。
以上が論文の簡単な要約です。
タイプの話は分かりにくいので、少し解説します。Echinofossulocactusのタイプは、Echinofossulocactus helophorusでした。しかし、現在ではE. helophorusはEchinocactus platyacanthusの異名とされています。つまり、Echinofossulocactusの代表を事もあろうにEchinocactusを選択してしまったのです。
著者らはStenocactusではなくEchinofossulocactusを正当な学名と考えています。しかし、タイプのミスは致命的な誤りに見えます。Heathの批判や著者らの考えにも関わらず、現在の学名はすべてStenocactusとなっており、EchinofossulocactusはEchinocactusの異名とされています。Huntの考え方が認められている形です。
しかし、植物委員会の判断は意外にもばらつきました。植物委員会もいくつか問題を提起しているように、完全決着ではないのかも知れません。しかし、現状ではEchinofossulocactusはEchinocactusの異名に過ぎず、使用されない名前です。完全に終わってしまったのでしょうか? 今後、再び議論される可能性はどのくらいあるのでしょうか?
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