愛知県春日井市はサボテンの町として知られています。私は訪れたことはありませんが、名前だけは知っていました。さて、いつものように論文を漁っていたところ、この春日井市を取り上げたレポートを見つけました。海外の学術誌に掲載されたDavid I. Bacsekによる『The Cactus City, Kasugai, Japan』です。なんと2023年、今年発表されたばかりのものです。
著者は日本中を旅していましたが、インターネットでサボテンの形の彫像があることを知り、それが当時滞在していた名古屋から近い春日井という街にあることが分かりました。春日井には有名なサボテンと多肉植物の苗床があることや、ウチワサボテンが一般に利用されていることを知りました。
著者はインターネットではそれ以上は分かりませんでしたが、ウチワサボテンの利用の経緯は著者予想していたシナリオとは異なるものでした。
台風Veraは1959年9月末、大変な猛威をふるい、現在の名古屋市を壊滅させました。これらの地域は最大4ヶ月間浸水し、病気の蔓延や飲料水や食料品の不足が起こりました。農地や鉄道の破壊による経済的なダメージももたらしました。(※伊勢湾台風のこと)
当時の農家は、副業として栽培していたサボテンを新しい食料源として選択しました。
1960年代に日本でサボテンブームを迎えた時、50軒以上の農家がサボテンを生産していましたが、その後は老朽化によりほんの一握りまで減少しました。後藤さん(※後藤カクタスの後藤容充さん)の祖父は、伊勢湾台風を経験し食料難を乗り切るためにウチワサボテン栽培に参加した農家の一人でした。
サボテン農家が街から消えてしまうことを危惧し、地元のレストランと協力してウチワサボテンを使った食品の開発するプロジェクトが始まりました。地元で有名なサボテン農家の後藤さんは、2006年に春日井市の商工会議所と立ち上げた「春日井サボテン」プロジェクトのために、食用サボテンのための温室を設置しました。著者は温室を見学させてもらいました。プロジェクトが始まってから17年経ちますが、後藤さんはサボテンの食品利用の促進だけではなく、その健康上の利点を認められ学校でのオプションの食材として正式に導入する法案が可決したことを喜んでいます。
春日井市で利用されるウチワサボテンは、コチニールサボテン(Opuntia cochenillifera)と呼ばれ、メキシコ、カリブ海地域、パナマ、キューバ、プエルトリコに分布します。抗酸化物質、ビタミンC、ビタミンE、ビタミンD(主に果実に含まれる)を含みます。食物繊維やビタミンが豊富で機能性食品と言えます。
後藤さんの目標は、乾性植物を育ててその人気を高めるだけではなく、誰もが農業の美しさと、これらのサボテンの健康上の利点を体験する機会を作ることであると著者に話してくれました。この街は食用サボテンの生産の中心地に成長し、人々が農業と乾性植物を祝う場に育ち、誰もがサボテンの街、春日井の魔法を体験する機会を得る事ができます。
以上が簡単な要約となります。
しかし、非常に面白いレポートでした。掲載誌はサボテンの利用についての研究を掲載している『Journal of Professional Association for Cactus Development』です。バックナンバーを見てみると、やはりウチワサボテンの利用や効率的な栽培についての研究が多いようです。このような社会活動的な話はメインではないため目を引きます。しかし、日本のサボテン農家が街と共に国際ジャーナルで話題になることは非常に珍しい事です。昔からサボテン栽培が普及している日本ですから、サボテンの歴史についてもう少し語ってくれる人がいてくれたらなあとは思いました。
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著者は日本中を旅していましたが、インターネットでサボテンの形の彫像があることを知り、それが当時滞在していた名古屋から近い春日井という街にあることが分かりました。春日井には有名なサボテンと多肉植物の苗床があることや、ウチワサボテンが一般に利用されていることを知りました。
著者はインターネットではそれ以上は分かりませんでしたが、ウチワサボテンの利用の経緯は著者予想していたシナリオとは異なるものでした。
台風Veraは1959年9月末、大変な猛威をふるい、現在の名古屋市を壊滅させました。これらの地域は最大4ヶ月間浸水し、病気の蔓延や飲料水や食料品の不足が起こりました。農地や鉄道の破壊による経済的なダメージももたらしました。(※伊勢湾台風のこと)
当時の農家は、副業として栽培していたサボテンを新しい食料源として選択しました。
1960年代に日本でサボテンブームを迎えた時、50軒以上の農家がサボテンを生産していましたが、その後は老朽化によりほんの一握りまで減少しました。後藤さん(※後藤カクタスの後藤容充さん)の祖父は、伊勢湾台風を経験し食料難を乗り切るためにウチワサボテン栽培に参加した農家の一人でした。
サボテン農家が街から消えてしまうことを危惧し、地元のレストランと協力してウチワサボテンを使った食品の開発するプロジェクトが始まりました。地元で有名なサボテン農家の後藤さんは、2006年に春日井市の商工会議所と立ち上げた「春日井サボテン」プロジェクトのために、食用サボテンのための温室を設置しました。著者は温室を見学させてもらいました。プロジェクトが始まってから17年経ちますが、後藤さんはサボテンの食品利用の促進だけではなく、その健康上の利点を認められ学校でのオプションの食材として正式に導入する法案が可決したことを喜んでいます。
春日井市で利用されるウチワサボテンは、コチニールサボテン(Opuntia cochenillifera)と呼ばれ、メキシコ、カリブ海地域、パナマ、キューバ、プエルトリコに分布します。抗酸化物質、ビタミンC、ビタミンE、ビタミンD(主に果実に含まれる)を含みます。食物繊維やビタミンが豊富で機能性食品と言えます。
後藤さんの目標は、乾性植物を育ててその人気を高めるだけではなく、誰もが農業の美しさと、これらのサボテンの健康上の利点を体験する機会を作ることであると著者に話してくれました。この街は食用サボテンの生産の中心地に成長し、人々が農業と乾性植物を祝う場に育ち、誰もがサボテンの街、春日井の魔法を体験する機会を得る事ができます。
以上が簡単な要約となります。
しかし、非常に面白いレポートでした。掲載誌はサボテンの利用についての研究を掲載している『Journal of Professional Association for Cactus Development』です。バックナンバーを見てみると、やはりウチワサボテンの利用や効率的な栽培についての研究が多いようです。このような社会活動的な話はメインではないため目を引きます。しかし、日本のサボテン農家が街と共に国際ジャーナルで話題になることは非常に珍しい事です。昔からサボテン栽培が普及している日本ですから、サボテンの歴史についてもう少し語ってくれる人がいてくれたらなあとは思いました。
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