私の好きなギムノカリキウムの何か良い論文はないかと探っていたところ、Urs Eggli & Detlev Metzingの1992年の論文、『(1045)Proposal to Conserve the Orthography of 5408a Gymnocalycium Pfeiffer ex Mittler 1844 (Cactaceae)』を見つけました。しかし、残念ながら有料の論文で読めません。タイトルはギムノカリキウム属の名前を保存するための提案です。これはいったいどういう意味でしょうか? まあ、結局は読まないと何も分からないことが分かりました。試しにギムノカリキウムについて学名を少し調べてみましたが、何も分かりません。しかし、調べていくうちに余計なことに興味が目移りして、脱線を繰り返して無駄に情報が溜まってしまいました。特に意味はないのですが、だらだら情報を開陳していきたいと思います。

★Gymnocalycium Pfeiff. ex Mittler

Gymnocalycium属は1844年に創設されました。しかし、実際には1920年代くらいまではあまり使われず、新種はEchinocactusとして命名されていました。それはそうと、1944年に初めて命名されたGymnocalyciumは何でしょうか? ざっと調べた限りでは3種類見つかりました。それは、G. denudatum、G. gibbosum、G. reductumです。

①Gymnocalycium denudatum
              (Link & Otto) Pfeiff. ex Mittler
1つ目はデヌダツムです。1828年に命名されたEchinocactus denudatus Link & Ottoが1844年にGymnocalyciumに移されました。ちなみに、1837年にはCereus denudatus Pfeiff.と命名されたこともあります。種小名の末尾が変わっていますが、属が変更された場合によくあることです。また、1907年に至ってもEchinocactus denudatus f. octogonus (K.Schum.) Schellaが命名されており、Gymnocalyciumの浸透の悪さが分かります。

そういえば、Echinopsis denudatus (Pfeiff.) Bosseという名前も1860年に命名されていますが、何故かHomotypic Synonymではなく、Heterotypic Synonymとされています。これは異名の種類の話で、現在の正式な学名につながる名前はHomotypic Synonym、つながらない名前はHeterotypic Synonymです。G. denudatumの場合、基本的には「denudatum」あるいは「denudatus」という種小名がついたものはG. denudatumにつながる正式な学名の系統です。例えば、1898年に命名されたEchinocactus megalothelon Sencke ex K.Schum.は、G. denudatumを指しているものの種小名が異なるためHeterotypic Synonymとされます。では、Echinopsis denudatusはなぜHomotypic Synonymではなく、Heterotypic Synonymなのでしょうか? それは、おそらく正しく引用されていないからでしょう。属名を変更する際は前の学名を引用して、この論文でこの人が命名した学名を変更しますと説明する必要があります。「denudatum」あるいは「denudatus」系の種小名はEchinocactus denudatus Link & Ottoから始まりますから、引用するなら1828年のLink & Ottoを引用するべきです。しかし、Echinopsis denudatusはPfeifferを引用してしまっています。そのため、Heterotypic Synonymとされてしまったのでしょう。

②Gymnocalycium gibbosum
                 (Haw.) Pfeiff. ex Mittler
2つ目はギボスムです。1816年に命名されたCactus gibbosus Haw.、1826年にはCereus gibbosus (Haw.) Sweet、1828年にはEchinocactus gibbosus (Haw.) DC.と変遷がありました。
また、G. gibbosumには2005年に亜種が出来ました。G. gibbosum subsp. borthiiです。この亜種borthiiと区別するために自動的に亜種ギボスム、つまりG. gibbosum subsp. gibbosumも出来ました。この場合、亜種gibbosum+亜種borthii=G. gibbosumですから、亜種gibbosum=G. gibbosumではないので注意が必要です。さて、亜種gibbosumには異名が沢山ありますが、その1つが1903年に命名されたEchinocactus spegazzinii F.A.C.Weber ex Speg.です。天平丸=Gymnocalycium spegazzinii Britton & Speg.を連想させますが、まったく無関係という訳でもありません。天平丸を少しだけ調べてみましょう。 早くも脱線します。

天平丸は1922年にG. spegazzinii Britton & Roseと命名されていますが、少し奇妙なことがあります。一番最初の名前は1905年に命名されたEchinocactus loricatus Speg., nom. illeg.です。1925年にはGymnocalyciumに移され、Gymnocalycium loricatum Speg.となりました。しかし、なぜわざわざG. spegazziniiと命名したのでしょうか? E. loricatus→G. loricatumの系統で良い気がします。ヒントはE. loricatusの最後に付けられた「nom. illeg.」です。これは非合法名といい、命名規約の規則に従っていない部分があるということです。その理由は分かりませんが、記載に問題があったことは明らかです。さらに言うならば、Echinocactus loricatusという学名は他のサボテンにも命名されており、しかもそちらの方が命名が早いので、いずれにせよGymnocalycium loricatumは成立しえない学名です。そして、非合法名を根拠としたG. loricatumもまた認められないのです。
ちなみに、先に命名された「loricatus」は1853年に命名されたEchinocactus loricatus Poselg.で、現在のCoryphantha pallida subsp. pallidaの異名です。しかし、思うこととして、もしEchinocactus spegazziniiがGymnocalycium spegazziniiとされていたら、天平丸の学名はG. spegazziniiではなかっただろうということです。1920年代はEchinocactusからGymnocalyciumへの移行が進んでいたので、あり得ないシナリオではなかったはずです。

③Gymnocalycium reductum
                 (Link) Pfeiff. ex Mittler
3つ目はレドゥクツムです。1822年に命名されたCactus reductusが1844年にGymnocalyciumに移されました。しかし、よく調べると、1812年にCactus nobilis Haw., nom. illeg.が命名されています。しかし、これは非合法名です。実はCactus nobilisという学名はどういうわけか、様々な人により命名されています。命名が古い順に、1771年のCactus nobilis L., nom.superfl.(=Ferocactus latispinus subsp. spiralis)、1785年のCactus nobilis Lam., nom.illeg.(=Melocactus intortus)、1812年のCactus nobilis Haw., nom.illeg.(=Gymnocalycium reductum subsp. reductum)、1891年のCactus nobilis (Pfeiff.) Kuntze, nom.illeg.(=Mammillaria germinispina)がありました。すべて現存しない学名で、括弧の中が現在の学名です。しかし、1771年のvon Linneの命名は非常に古いにも関わらず、「nom.superfl.」とあります。これは、それより早く公開された同じ名前があるというのですから不思議です。調べて限りではこれより古い学名は見つかりませんでした。なにやら気になりますね。

とまあ、時代によりGymnocalyciumはEchinocactusだったりCereusだったりしますが、ギボスムやレドゥクツムに最初に付けられたCactus属とは何者でしょうか?

★Cactus L.

現行の学名のシステムは1753年にCarl von Linneにより作られましたが、Cactus属はその1753年にvon Linneにより命名されました。おそらく、当時知られていたサボテンはすべてCactus属だったのでしょう。結局、Cactus属から様々な属が独立し、最終的には消滅した現存しない属です。実はCactus属は現在Mammillariaの異名とされています。最初に命名されたサボテンは後のMammillariaだったのかもしれません。少し調べてみましょう。ただし、1753年のvon Linne以降もCactus属は命名され続けたので、膨大な種類があります。さすがにそのすべてとはいきませんが何種類か見てみましょう。

やはり、1753年当時に知られていたサボテンはすべてCactus属だったようです。様々なタイプのサボテンが所属していました。どうやら、団扇サボテンと柱サボテンが多かったみたいです。例えば、団扇サボテンではCactus tuna L.(=Opuntia tuna)、Cactus opuntia L.(=Opuntia ficus-indica)、Cactus cochenillifer L.(=Opuntia cochenillifera)、Cactus curassavicus L.(=Opuntia curassavica)、Cactus moniliformis L.(=Consolea moniliformis)などがあり、柱サボテンはCactus hexagonus L.(=Cereus hexagonus)、Cactus pervianus L.(=Cereus repandus)、Cactus heptagonus L.(=Stenocereus heptagonus)、Cactus pentagonus L.(=Acanthocereus tetragonus)、Cactus lanuginosus L.(=Pilosocereus lanuginosus)、Cactus royenii L.(=Pilosocereus polygonus)などがあります。他にも、Cactus pereskia L.(=Pereskia aculeata、杢キリン)、Cactus phyllanthus L.(=Epiphyllum phyllanthus)、Cactus triangularis L.(=Selenicereus triangularis) 、Cactus grandiflorus L.(=Selenicereus grandifloras、大輪柱、夜の女王)、Cactus flagelliformis L.(=Aporocactus flagelliformis、金紐)などもあります。また、玉サボテンはあまりないようで、Cactus melocactus L.(Melocactus caroli-linnaei)、Cactus mammillaris L.(=Mammillaria mammillaris)は見つけました。こんな状態で、なぜMammillaria属が旧Cactus属を代表しているのかは、よく分かりません。不思議ですね。

★Cereus Mill.
ついでに現在では柱サボテンが所属するCereusについても調べてみました。なんと、Cereus属はvon Linneが学名のシステムを作った翌年、1754年に命名されています。では、1754年に命名された種類はなにかと思い調べてみましたが、何故か見つかりません。不思議なことに、Cereus属の命名者であるPhilip Millerにより命名され認められた最初の学名は1768年でした。この14年のブランクにはどのような意味があるのでしょうか?
 

取り敢えず、Cereus属の基本的な情報から。1768年にMillerにより命名されたCereusは、現在ほとんど存在しません。別の属になりCereus名義の学名は異名となっています。すべて調べた訳ではありませんが、1768年に命名されたCereusたちは、現在Selenicereus、Stenocereus、Aporocactus、Harrisia、Pilosocereusなどになっているようです。現存するMillerが命名したCereusは、Cereus hexagonusやCereus repandusくらいかもしれません。どうにも歯切れが悪い言い方なのは、Cereusは異名だらけで数百種類あり、とてもではありませんがすべてを調べることは出来なかったからです。ちなみに、現在のCereusは30種くらいの小さな属です。

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「The Gardeners Dictionary」

さて、では命名年の謎に迫ります。1754年にPhilip Millerが出版した『The Gardeners Dictionary』を見てみましょう。そこでは、Cereusは13種類が解説されています。しかし、学名はよく分かりません。というのも、「CEREUS」という名前は使われていますが、種小名がありません。ラテン語で特徴を羅列しているだけです。つまり、当時記載された13種が現在の何というサボテンに該当するのかがよくわからないのです。まとめると、Cereusという属名は提案されましたが、von Linneのシステムに乗っ取っていないため、1754年に命名された13種は認められなかったようです。

★Echinocactus Link & Otto
Echinocactusは1827年に命名されました。しかし、そのうち現在残っているのはEchinocactus platyacanthus Link & Ottoだけみたいです。同じく1827年に命名されたEchinocactus acuatus Link & Ottoは、現在Parodia erinaceusとなっています。


長々と書き連ねて来ましたが、まあこんな感じです。元は何の話だったのかすっかり忘れてしまい、あちらこちらと脱線しながら調べました。まあ、興味の赴くままの実にまとまりのない話です。
しかし、少し調べただけで、サボテンの学名は謎だらけでした。なんとなく分かるものもありますが、まったく分からないものもあります。ごく稀にこういった細かい部分を調べあげた論文もありますが、私のようにただ検索するだけではなく、実際の関係する論文をすべて読み込んでいるわけですから大変な労力が必要です。しかし、サボテンの学名はその異名の多さが物語るように、古い時代の学名には何かしらの問題を抱えていることは珍しくありません。調べられていないだけで、今後訂正が必要な名前のサボテンも沢山あるのでしょう。面白そうな論文がありましたら、ご紹介出来ればと思います。


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