Carl von Linneにより1753年に二項式の学名の記述方法が提案されアロエ属が誕生しました。つまり、Aloe L.です。しかし、実際にはそれ以前からアロエの仲間はヨーロッパで知られていましたが、ラテン語による特徴の羅列により記述されていました。von Linneによる1753年の『Species Plantarum』では、GasteriaやHaworthiaもアロエ属として記載されていました。これが、アロエ属の誕生に関する話ですが、それから270年ほど経ちアロエ属も激変しました。そのアロエ属の歴史を紐解いたRonell R. Klopper & Gideon F. Smithの2014年の論文、『Aloe of the world: When, where and who?』を見つけました。アロエの歴史を見てみましょう。ちなみに、2014年以降に学名が変更されたものもありますから、※印で私が注釈を入れました。

1753~1760年
von Linneが初めてAloe L.を記載しました。この中では、Aloe variegata L.のみが現在でもアロエ属として残されています。

1761~1770年
アロエ研究に貢献した最初の人物は、1768年に『Garden Dictionary』の第8版を出版したP. Millerでした。Millerは主に南アフリカから来た新しいアロエについて説明しました。
この時期に出版されたものとしては、N. L. Burmanによる『a new combination for Aloe vera (L.) Burm.f.』と、R. Westonによる南アフリカの1種類のアロエについてでした。

1771~1780年
1761~1763年にArabia Felix(現在のイエメン)でデンマークの遠征があり、同行したP. Forsskal
により初めてアラビア半島のアロエについて説明されました。しかし、1880年代後半までアラビア半島のアロエについては何もありませんでした。
この時期には、P. Miller、C. Allioni、F. Massonにより、南アフリカのアロエがそれぞれ1種類記載されました。
また、F. K. MedikusによりKumara Medik.が記載されました。(※1)

※1 ) Aloe plicatilisは、初めvon LinneによりAloe disticha var. plicatilisとされました。しかし、Aloe distichaとは現在のGasteria distichaのことです。このことが後に問題を引き起こします。MedikusがAloe plicatilisをKumara distichaと命名してしまったのです。正しく引用するならば、Kumara plicatilisとすべきでした。MedikusはAloe plicatilisをKumara属としたつもりでしたが、規約上ではGasteria distichaをKumaraとしてしまったのです。困ったことにGasteria属の創設よりもKumara distichaの方が命名が早かったため、規約上では現在のGasteria属はKumara属とする必要があります。ただし、規約に従うと大きな混乱を招くため、変更は行わず現状維持が提言され認められています。ちなみに、Aloe plicatilisはアロエ属から独立し、Kumara plicatilisとなりました。Medikusの提唱したKumara属が正しい引用により復活したのです。
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Kumara plicatilis
=Aloe plicatilis
=Aloe disticha var. plicatilis


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Gasteria disticha
=Aloe disticha


1781~1790年
J. B. A. P. M. C. de Lamarckはモーリシャス、東アフリカ、北東アフリカから1種類ずつのアロエを記載しました。また、C. Linnaeus jnr.(von Linneの息子=Linne filius)とA. Aitonは、アフリカ南部からそれぞれ新種のアロエを1種類記載しました。

1791~1800年
アフリカ南部ではC. P. Thunberg、R. A. Salibusy、C. L. Willdenow、A. P. de Candolleが新種を記載しました。de Candolleはアフリカ南部だけではなく、熱帯アフリカ北東部やアラビア半島、モーリシャスも記載しています。しかし、この1790年代に発表された10種類のアロエは、現在では使用されていないものです。

1801~1810年
1804年にA. H. Haworthはアロエ属の新しい分類を発表しました。また、Haworthはアフリカ南部から幾つかの新種を記載しましたが、現在ではそのうち2種類だけが認められています。
de Candolle、J. B. Ker Gawler、J. A. Schultesがアフリカ南部で、Willdenowはアフリカ南部とモーリシャスで新種を記載しましたが、現在では異名扱いとなり認められていません。

1811~1820年
Haworthはアフリカ南部から2種類、Reunion島から1種類のアロエを記載しました。Willdenowはアフリカ南部とモーリシャス、W. T. Aitonはアフリカ南部、Ker Gawlerはアフリカ南部とモーリシャス、Prince J. M. F. A. H. I. von Salm-Rifferscheid-Dick (Salm-Dick)はアフリカ南部で新種を記載しましたが、これは現在認められていません。
Willdenowは新属Lomatophyllum Willd.を提唱しました。Lomatophyllum(※2)はマダガスカルとマスカレン諸島に固有の液果を持つアロエです。
Medikusは樹木状のアロエであるRhipidodendron Medik.を提唱しました(※3)。
Ker Gawlerは主にマスカレン諸島の液果アロエをPhylloma Ker Gawlとして記載しました(※4)。現在、これらの新属はアロエ属とされています。

※2 )Lomatophyllum属は現在アロエ属に含まれることになりました。遺伝子を解析したところ、Lomatophyllumとされてきた種類同士が近縁ではなかったのです。離島で進化したアロエの収斂進化ということなのでしょう。

※3 )Rhipidodendron属は、Aloe dichotomaとAloe plicatilisを含むものでした。しかし、現在では認められていません。ちなみに、Aloe dichotomaはアロエ属から独立し、Aloidendron dichotomumとなりました。Aloe plicatilisは(※1)を参照。
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Aloidendron dichotomum
=Aloe dichotoma


※4 ) Phylloma属はLomatophyllumとされていたアロエのうち2種類が該当します。Aloe purpurea(=L. purpureum)をP. aloiflorumなど3種類に分けていました。また、Aloe macra(=L. macrum)はP. macrumとされました。

1821~1830年
Haworthはアロエの重要な研究をしており、アフリカ南部から10種類の新種を記載しました。さらに、Pachydendron Haw.を提唱しました(※5)。
W. J. BurchellとSalm-Dickは、それぞれアフリカ南部から1種類の新種を記載しました。J. A. SchultesとJ. H. Schultesは共同で2つのアフリカ南部のアロエの新しい名前と新しい組み合わせを発表しました。
H. F. Link、L. A. Colla、K. Sprengelはアフリカ南部、R. Sweetはマスカレン諸島、J. A. SchultesとJ. H. Schultesはアフリカ全域で、様々な新種を記載しましたが、その多くは現在使用されていないものです。

※5 ) Pachydendronはサンゴの化石につけられた学名ですからこれは誤りです。正しくはPachidendronです。Aloe feroxとAloe africanaが含まれていました。

1831~1840年
1830年代にはアロエに関する研究や出版物はあまりありませんでした。Salm-Dickがアフリカ南部、H. W. Bojerはマダガスカルとマスカレン諸島、E. G. von Steudelはアラビア半島とアフリカ南部で新種を記載しましたが、現在は異名とされています。1837年に出版されたBojerの『Hartus Mauritianus』は、マダガスカルとマスカレン諸島のアロエを記載した初めての記録です。

1841~1870年
この30年間はアロエ属はあまり変化がありませんでした。Salm-Dickがアフリカ南部から2種類の新種を記載しました。von SteudelはPhylloma属について整理しました。R. A. Salisburyは新属Busipho Salisb.を創設しました。BusiphoにはAloe feroxが含まれていましたが、現在では認められていません。

1871~1900年
この30年間はJ. G. Bakerがアロエ研究を独占しました。Bakerは生涯に42種類の新種と20の異名を記載しました。Bakerによりソコトラ島とマダガスカルのアロエの正式な説明がなされました。アロエ研究はアフリカ南部から始まり、東アフリカから北東の熱帯アフリカにまで及びました。アロエに関する沢山の著作として、1883年の『Contribution to the Flora of Madagascar』、1896年の『Aloe to the Flora Capensis』、1898年の『Flora of Tropical Africa』などが知られています。
A. Todaroは1880年代後半から1890年初頭にかけて、熱帯アフリカの北東部と西部の4種類のアロエを説明しました。1888年から1895年の間にH. G. A. Englerは、アフリカ南部から1種類、東熱帯アフリカから4種類のアロエを記載しました。
他には、W.T. Thiselton Dyerがアフリカ南部から1種類、I. B. Balfourがマダガスカルから1種類、G. F. Scott-Elliotがマダガスカルから1種類、A. B. Rendleが東熱帯アフリカから1種類、C. E. O. Kuntzeがアフリカ南部から1種類、W. Watsonが北東熱帯アフリカから1種類を記載しています。
A. Deflersは1885年から1894年の間にアラビア半島を探検しました。Forsskal以来120年ぶりにアラビア半島でアロエが調査されました。Deflersはイエメンとサウジアラビア南部に遠征し、Aloe tomentosa Deflersを記載しました。この間にG. A. Schweinfurthは熱帯アフリカ北東部から3種類、アラビア半島から2種類のアロエを記載しました。
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Aloe somaliensis C. H. Wright ex W. Watson
(1899年命名)


1901~1910年
この10年間の最も著名なアロエ研究者はA. Bergerで、アロエ属の新しい体系とモノグラフを含む研究を行いました。Bergerはアフリカ南部から9種類(うち2種類はH. W. R. Marlothとの共著)、南熱帯アフリカから2種類、東熱帯アフリカから5種類、北東熱帯アフリカから3種類、西部及び西中央熱帯アフリカから1種類、マダガスカルから3種類、コモロ諸島から1種類のアロエを記載しました。また、Bergerは新属Chamaealoe A.Bergerを提唱しました(※6)。
S. Schonlandは1900年代にアフリカ南部のアロエを研究し、9種類の新種を記載しました。
その他には、J. G. Bakerは、H. G. A. EnglerとE. G. Gilgは南熱帯アフリカ、I. B. Balfourはソコトラ島、G. KarstenとH. Schenckは北東熱帯アフリカ、A. B. Rendleは東及び西中央熱帯アフリカ、Marlothはアフリカ南部から新種のアロエを記載しました。

※6 ) Chamaealoe属はChamaealoe africanaからなる属でした。これは現在のAloe bowieaのことです。A. bowieaは初めは1824年にBowiea africana Haw.と命名されました。しかし、Bowiea属からアロエ属に移る際に、すでにAloe africana Mill.というアロエが1768年から存在したため、Bowiea africana→Aloe africanaという移行が出来ませんでした。そのため、1829年にAloe bowiea Schult. & Schult.f.と命名されました。Chamaealoe africana (Haw.) A.Bergerは1905年に命名されましたが、現在では認められていません。
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Aloe bowiea
=Chamaealoe africana


1911~1920年
I. B. Pole Evansはアフリカ南部から14種類のアロエを記載しました。他には、S. Schonlandがアフリカ南部、A. Bergerは南部及び南熱帯アフリカ、A. B. Rendleは南熱帯アフリカから2種類、J. DecorseとH. -L. Poissonはマダガスカルから、それぞれアロエを記載しました。

1921~1930年
R. Decaryはマダガスカルから3種類のアロエと、後にアロエ属に移されたガステリアを記載しました。
1926年にマダガスカルのアロエとLomatophyllumに関する重要な本がJ. M. H. A. Perrier de la Bathieにより出版され、22種類のアロエが新たに記載されました。また、Decaryによりガステリアとされたアロエは、Aloe antandroi (Decary) Perrierとされました。Perrier de la BathieはLomatophyllumの6種類の新種を記載しました。
他には、P. Danguyがマダガスカル、E. Chiovendaは北東熱帯アフリカから2種類、E. A. J. de Willdermanは西中央熱帯アフリカ、A. Bergerはアフリカ南部、M. K. Dinterはアフリカ南部、N. S. Pillansはアフリカ南部、L. Guthrieはアフリカ南部からアロエを記載しました。

さて、記事が長くなってしまったので、一度ここで切ります。内容的にもアロエ属の権威であるReynoldsが1930年代から登場します。明日に続きます。


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