プラントハンターはヨーロッパの列強国が世界中に派遣した植物採取人たちのことです。もちろん、国家が国策として行っていたわけではなく、ヨーロッパの園芸熱の高まりにより、ヨーロッパの人々は異国の珍しい植物を入手しようとしたのです。
さて、本日はそんなプラントハンターについて書かれたAlice M. Coatsの「プラントハンター東洋を駆ける」(八坂書房、2007年)をご紹介しましょう。原版は世界中のプラントハンターについて書かれているそうですが、日本語版はその中から日本と中国を舞台にした部分のみを抜粋しています。基本的には次々とプラントハンターの人生が語られ、内容は非常に濃密です。語られるのも、日本では有名なシーボルトやケンペルだけではなく、存命中はまったくその業績が知られていなかったようなプラントハンターすら登場します。

日本はプラントハンターが訪れた時には、すでに園芸ブームが繰り返しあったわけで、プラントハンターも植木屋が沢山あることに驚いた様子です。また、日本では何かと異国の話を聞きにくる知識人も結構いた様子もうかがえます。中には帰国したプラントハンターに植物を送り続けた日本人すら登場します。国や時代が代われど人のつながりは普遍的ですね。
さて、日本や中国からヨーロッパに渡った植物は沢山あれど、そのすべてが栽培された訳ではありません。初期は地球を半周する船旅に耐えられないものも多く、植物輸送用のミニフレームである「ウォードの箱」が開発されるまでは生き残るものはわずかでした。また、船が難破することもしばしばでした。
日本からはアジサイやアオキ、ツツジなどの花木やユリやサクラソウなどの草花を始め、非常に多くの植物が導入されました。意外にも針葉樹が何かと登場しますが、庭木としての活用が期待されたのかも知れません。また、桜は中々導入されませんでしたが、理由はよく分かりません。開花期を見逃していただけなのでしょうか?
プラントハンターは園芸植物だけを求めた訳ではなく、沢山の乾燥標本を作ってヨーロッパに送っています。それらの標本を元に学名が付けられていますから、現在でもそれらは貴重な資料です。
最近、日本でもプラントハンターと呼ばれる人がいます。しかし、テレビで放映しているところを見ると、実際に採取するために探検している訳ではなく、世界中を飛び回って買付をしているバイヤーであることが分かります。とは言うものの、昔のプラントハンターも、ほとんど都市部で植木屋などから購入するだけだった人物もいないではありません。まあ、当時はヨーロッパからアフリカ西岸を帆船で南下して、喜望峰を回り北上し、インドや東南アジアを経由して東アジアに来るだけで大変な冒険ではありました。また、中国では盗賊や海賊に悩まされ、病気になったものも多く現地で亡くなったプラントハンターもいます。中には現地民に襲撃されて命を落としたプラントハンターすらいます。昔のプラントハンターは危険をかえりみず、わずかな報酬でまったく未知の世界に飛び出した、まさに冒険家だった訳です。
この本の原版は割と古いもので初版は1969年ですから、何となく時代を感じる記述が目立ちます。例えば中国ではプラントハンターは所詮は余所者でしかないというのに、便宜を図らない中国に批判的です。しかも、侵略的なヨーロッパ列強の姿勢には無批判で、読んでいると列強に侵食される中国の方が悪いかのように感じてしまいます。どうにも西洋中心主義が色濃い雰囲気ですが、実は1990年代でも学術世界ですら生き残っていた思想ですから、時代を考慮するならば仕方がないことかもしれませんね。
ブログランキング参加中です。
クリックしていただけますと嬉しく思います。

にほんブログ村

にほんブログ村
さて、本日はそんなプラントハンターについて書かれたAlice M. Coatsの「プラントハンター東洋を駆ける」(八坂書房、2007年)をご紹介しましょう。原版は世界中のプラントハンターについて書かれているそうですが、日本語版はその中から日本と中国を舞台にした部分のみを抜粋しています。基本的には次々とプラントハンターの人生が語られ、内容は非常に濃密です。語られるのも、日本では有名なシーボルトやケンペルだけではなく、存命中はまったくその業績が知られていなかったようなプラントハンターすら登場します。

日本はプラントハンターが訪れた時には、すでに園芸ブームが繰り返しあったわけで、プラントハンターも植木屋が沢山あることに驚いた様子です。また、日本では何かと異国の話を聞きにくる知識人も結構いた様子もうかがえます。中には帰国したプラントハンターに植物を送り続けた日本人すら登場します。国や時代が代われど人のつながりは普遍的ですね。
さて、日本や中国からヨーロッパに渡った植物は沢山あれど、そのすべてが栽培された訳ではありません。初期は地球を半周する船旅に耐えられないものも多く、植物輸送用のミニフレームである「ウォードの箱」が開発されるまでは生き残るものはわずかでした。また、船が難破することもしばしばでした。
日本からはアジサイやアオキ、ツツジなどの花木やユリやサクラソウなどの草花を始め、非常に多くの植物が導入されました。意外にも針葉樹が何かと登場しますが、庭木としての活用が期待されたのかも知れません。また、桜は中々導入されませんでしたが、理由はよく分かりません。開花期を見逃していただけなのでしょうか?
プラントハンターは園芸植物だけを求めた訳ではなく、沢山の乾燥標本を作ってヨーロッパに送っています。それらの標本を元に学名が付けられていますから、現在でもそれらは貴重な資料です。
最近、日本でもプラントハンターと呼ばれる人がいます。しかし、テレビで放映しているところを見ると、実際に採取するために探検している訳ではなく、世界中を飛び回って買付をしているバイヤーであることが分かります。とは言うものの、昔のプラントハンターも、ほとんど都市部で植木屋などから購入するだけだった人物もいないではありません。まあ、当時はヨーロッパからアフリカ西岸を帆船で南下して、喜望峰を回り北上し、インドや東南アジアを経由して東アジアに来るだけで大変な冒険ではありました。また、中国では盗賊や海賊に悩まされ、病気になったものも多く現地で亡くなったプラントハンターもいます。中には現地民に襲撃されて命を落としたプラントハンターすらいます。昔のプラントハンターは危険をかえりみず、わずかな報酬でまったく未知の世界に飛び出した、まさに冒険家だった訳です。
この本の原版は割と古いもので初版は1969年ですから、何となく時代を感じる記述が目立ちます。例えば中国ではプラントハンターは所詮は余所者でしかないというのに、便宜を図らない中国に批判的です。しかも、侵略的なヨーロッパ列強の姿勢には無批判で、読んでいると列強に侵食される中国の方が悪いかのように感じてしまいます。どうにも西洋中心主義が色濃い雰囲気ですが、実は1990年代でも学術世界ですら生き残っていた思想ですから、時代を考慮するならば仕方がないことかもしれませんね。
ブログランキング参加中です。
クリックしていただけますと嬉しく思います。

にほんブログ村

にほんブログ村
コメント